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438. シブサワ・コウのゲーム開発

[2026.08.21]

 6月に参加した「日本精神神経学会学術総会」(430話)の会場で、市民公開講座「シブサワ・コウのゲーム開発」のポスターを見かけました。

 演者は、「信長の野望」「三國志」など数々のゲームの制作を手掛けた、「シブサワ・コウ」こと襟川陽一さん(コーエーテクモホールディングス代表取締役会長兼取締役会議長)。襟川さんは栃木県足利市出身で、栃木県立足利高校の卒業生であり、私の大先輩にあたります。私はかつて「信長の野望」「三國志」をはじめ、「シブサワ・コウ」プロデュースのゲームでよく遊んでいました。ぜひとも襟川さんのご講演を拝聴したいと思いましたけれども、この日は当院の診察がありましたので、市民公開講座に参加することはできませんでした。しかし幸いなことに「日本精神神経学会」のオンデマンドで、襟川さんのご講演の配信を見つけることができました。さっそく視聴いたしました。

 襟川さんは、足利市でお父様が経営する染料販売会社に就職するものの、その会社は倒産。1978年お父様が閉じた会社と同じ内容の会社を立ち上げようと思い、襟川さんは、株式会社「光栄」を設立しました。しかしながら経営はうまくいっていなかったようです。その頃、書店でたまたま「マイコン」という名の雑誌を見つけます。「仕事や趣味にパソコンが活かせる、これからはパソコンの時代だ」という記事を見た襟川さんはぜひともパソコンが欲しいという気持ちが強くなりました。しかし当時パソコンは極めて高価であり(初任給8万円でパソコン1台約30万円もしたとのこと)、赤字経営の「光栄」にはお金がないことから購入することができませんでした。襟川さんは何度も奥様に「パソコンが欲しいけどお金がなくて買えない」と言っていたそうです。それを察した奥様は、襟川さん30歳の誕生日の際にパソコンをプレゼントしたのでした。奥様は、高校時代から株の投資を続けており、お金を持っていたそうです。
 パソコンを手に入れた襟川さんは、プログラミングにハマってしまい、プログラム言語を自分で勉強し、会社の財務管理、在庫管理、見積もり計算のソフトのプログラムをしていました。一方で夜はゲーム作りで遊んでいました。たくさん制作したゲームの中で大変面白いものができました。「川中島の合戦」というゲームで、武田信玄と上杉謙信の軍隊が登場するシミュレーションゲームです。これで遊んでいたところ、奥様は「そんなに面白いんだったら通信販売してみては」と進言しました。それを受け販売することにしました(当時はカセットテープでした)。5本とか売れればよいと思っていたところ、実際にはなんと1万本も売れたそうです。その2年後「信長の野望」(初代)を発売、口コミが広がり大ヒットしたのでした。それから「光栄」はゲームソフト開発に専念することとなり、数々の名作を世に出すことになります。

 この襟川さんのお話を拝聴し、戦国時代の「内助の功」のエピソードを思い出しました。これは、戦国武将でのちに土佐の大大名にまで出世する山内一豊とその妻の話です。信長の時代、「馬揃え」という軍事パレードが開催されていました。家臣たちが馬を見せて優劣を競うというものです。一豊は当時、良い馬を買う身分ではありませんでした。それを案じた妻は、一豊に「これで名馬を買ってきてください」とへそくりの10両をあげます。一豊は妻に感謝し、名馬を購入します。当日の馬揃えで、信長は名馬にまたがる一豊に注目します。これは、一豊が出世するきっかけになった出来事とされています(注)。

 襟川さんの奥様がパソコンをプレゼントするというエピソードがなかったら、われわれが「信長の野望」などの「シブサワ・コウ」プロデュースのゲームで遊ぶことは決してなかったものと感じずにはいられません。

(注)山内一豊とその妻の「内助の功」のエピソードはフィクションとする説もあります。

 

【おまけ】栃木県立美術館で開催中の「ゲームと美術」の展示物。館内は写真撮影OKでした。


襟川さんが奥様からプレゼントされたパソコン。


「川中島の合戦」のパッケージ(当時のパソコンソフトはカセットテープが主流でした)


歴代の「信長の野望」のパッケージ(一部)

 

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