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253. 気象予報士試験の思い出 後篇

[2023.02.10]

 前篇(252話)の続きです。
 2005年当時、気象予報士試験の願書提出は、郵送のほかに、東京の気象業務支援センターの窓口で手続きする方法がありました。私は、せっかくなので窓口での申請をしたいと思い、山形から新幹線で上京し、気象業務支援センターで願書を提出しました(注:現在では郵送のみで、窓口での申請受付はしていないそうです)。その後、高円寺の気象神社へ行き、お参りをしました。ちなみに気象神社は、最近、新海誠監督の映画「天気の子」の聖地としてかなり有名になったスポットです。
 試験の数週間前、試験会場となる東北電子専門学校(仙台市)へ行き、下見をしました。試験会場を事前に見ておくだけでも、当日の試験に余裕が生まれるものです。これは、宮本武蔵が巌流島の決闘の前に下見をしていたというエピソードがヒントになったものです(これまでも私は、大学入試や医師国家試験の際も、試験会場へ下見をしていました)。本当は東北電子専門学校の建物内に入れれば、教室の雰囲気やトイレの位置などを事前にチェックできたのですが、残念ながらセキュリティの関係で入館が困難そうでしたので、外から建物を眺めるにとどめました。
 そして、試験前日に仙台市のホテルに前泊し、いよいよ試験本番。気象予報士試験は、前半に、知識を問うマーク式の「学科試験」が2つ、お昼休憩をはさんで、後半に、天気図などの資料を閲覧し、穴埋め式、論述式問題や、天気図などを描く問題に挑む「実技試験」が2つあります。学科試験では、解答に迷う問題がところどころありました。更には、実技試験では、これまでの過去問では解いたことのない、「温暖前線」を描く問題が出されたのには面を食らいました。試験は夕方で終了。正直「これはダメかも・・・」と思いながら、落ち込んで山形に帰りました。
 試験日から約1か月半経過し、合否発表の日。この日は新庄市の病院で仕事でした。お昼休みのときに、インターネットで合格者の受験番号が見られるはずと思い、医局のPCを操作しました。すると、なんと私の受験番号が表示されているではないですか。思わず「ええっ!」と声を上げてしまいました。近くにいた心理士の先生から「どうされたのですか!?」と心配されてしまいました。それに対し、私は「いえいえ、何でもないです」と答えておきました。もともと「合格はできないだろう」と思っていた私は、「この合格発表のページがもし誤表記だったら・・・」ということを懸念してしまいました。このため、帰宅し、気象業務支援センターから送られてくる合否通知を確認するまでは、喜ばないほうがいいだろう、と思うことにしました。仕事を終え、山形市の自宅に戻ると、「合否通知在中」と書かれた圧着はがきが届いていました。それを開けると、「気象予報士試験合格証明書」の文字がありました。これを見て、あらためて合格したことを確認しました。

 数日後に、気象予報士の登録申請などの書類が届きました。登録申請書に記載し、必要書類と一緒に気象庁に郵送しました。その際、返信用封筒(後述する「気象予報士登録通知書」を気象庁から送付するための封筒)を添付する必要がありますが、それに関する説明書きに次のことが書かれていました。

(返信用封筒の)宛名の下には「行」ではなく、「様」の記入をお願いします。

これには苦笑してしまいました。おそらく、気象庁の職員の方が、「行」を「様」に訂正するのが大変という事情なのでしょう。数週間後に、「気象予報士登録通知書」が送られてきました。

 現在は、開業医としての仕事が多忙という事情もあり、残念ながら気象予報士の資格を十分に活かしていないのが現状です。ペーパードライバーならぬ「ペーパー予報士」という感じでしょうか。ただ最近、私が所属する「日本気象予報士会」のツイッターを見たところ、オンラインで様々な学習会が開かれているのを発見しました。機会があればこのような会に参加し、気象の勉強を楽しんでみたいと思っています。

 この記事が、少しでも、気象予報士試験を受けられる方々の一助になれば幸いです。

 

 

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