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55. 続・「車の運転が怖い!」

[2019.05.31]

 最近になり、32話「車の運転が怖い!」のアクセス数が急上昇しています。5月31日現在、37話「ベンゾジアゼピン系薬のリスク 前篇」に次いで、第2位のアクセス数です(注:2020/03/19現在「32話」は断トツ1位のアクセス数です)(注:2020/08/27現在 37話が再び1位になりました。32話は第2位です)。これだけアクセスが増えた原因は、執筆者の私も「よくわかりません」と言わざるを得ませんが、もしかするとテレビなどで先日の交通事故のニュースがセンセーショナルに報じられていることが要因のひとつなのではと推測しています。

 32話では、「万一車で人をひいてしまったら、交通事故に遭ったら」という予期不安、恐怖感から車の運転を回避してしまうケースを紹介しました。

 今回は、別の理由で車の運転が怖くなり、運転をしなくなってしまったケースを提示いたします(実例をもとに作り上げた架空のケースです)。

 

 会社員のAさん(30歳男性)は車で通勤します。とある日、通勤で車を運転中、たまたま異音がしました。「もしかして、人をひいてしまったのかな?」かなり心配になり、音がした場所に戻ります。車を降りて確認したところ、単なるマンホールでした。別の日の朝、運転中に再び異音に気付きます。「今度こそ人をはねたのか!?」音のした場所に戻り、確認しましたけれども特に何もありません。車の運転を再開し会社へ向かうのですが、「もしかすると先ほどの確認では見落としがあったかもしれない!」と思い、もう一度先ほどの場所に戻ってしまいます。やはり何もありませんでした。それから、車を運転して些細な物音を感じると、音がした場所に戻って確認するという行為が増えるようになりました。馬鹿げていると分かっているのに、やめることができません。そのうち確認行為に時間を要してしまい、会社に遅刻することが頻回になりました。運転する前から、再び確認行為をしてしまうのではないか、このためまた遅刻するのではないか、などと予期不安を抱くようになりました。これまではドライブが趣味だったAさんも、運転するのが怖くなってしまいました。

 

 運転中に物音がして、「人をひいてしまったのかな!?」などと心配になるのは自然な感情であり、決して病的なものではありません。ときにはどうしても気になってしまい、現場に戻って確認してしまうこともあるでしょう。しかしながら、このような不安にとらわれてしまい、その不安を打ち消そうと確認を続け、自分自身でも馬鹿げていると思っても確認行為がやめられなくなる病態に発展することがあります。このような行為を「強迫行為」といいます(44話参照)。

 その強迫行為のからくりは、森田正馬先生の「精神交互作用」で説明することができます。運転中異音を覚え、「人をひいてしまったのかな!?」と不安になり、不安を排除するために音の出た場所に戻り確認したとします。すると、不安の対象に注意が集中し、それに対し鋭敏化することになります。その結果、些細な異音がしただけでも不安が強く感じられ、それを排除しようと確認行為をする・・・その悪循環により、次第に「人をはねてしまったかな!?」という不安に視野狭窄され、それを取り除くための確認行為がますますエスカレートしてしまうことになります。

 

 実際の治療(森田療法の場合)では、「悪循環(精神交互作用)の打破」と「建設的な行動」が基礎となります。不安を取り除こうと確認行為をすることでより不安を強めてしまっていること、このため自分の行なうべき(やりたい)ことが犠牲になってしまい、不安を排除するための行動にエネルギーが向かっていることを治療者は指摘します。先述の通り、「人をひいてしまったのかな!?」という不安は全く自然なものです。よって、この不安は無くすのではなく、とりあえず抱え込む。そして自ら取り組むべき(やりたい)行動にエネルギーを費やしていくよう指導していきます(ただしこれはあくまでも一般論で、ケースにより若干アプローチが異なることがあります)

 なお、薬物療法も時には有用です。しかし限界があります。私は、強迫行為のケースに対して薬物療法をおこなう際に、「薬は生活を立て直すための補助的なもの」1)と説明しています。

 

【参考文献】

1) 中村敬、北西憲二、丸山晋ら:外来森田療法のガイドライン.日本森田療法学会雑誌 20; 91-103, 2009.

 

 

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