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274. 築山殿事件

[2023.07.07]

(注)この記事には、ドラマ「どうする家康」のネタバレが含まれます。ご注意ください!

 先日の大河ドラマ「どうする家康」では、築山殿事件のエピソードが放送されました。徳川家康の正室・瀬名(築山殿)の悲劇的な最期のシーンに涙した視聴者はかなり多かったようです。

(注)このドラマでは「瀬名」という名前ですが、以下この記事では歴史上で一般的に知られる名である「築山殿」で統一します。

 ここで、築山殿事件について簡単に説明しておきます。徳川家康は織田信長と同盟関係にありました。徳川家は、当時戦国最強とされていた武田家と敵対関係にあり、武田との戦争で苦戦していました。そんな中、家康の嫡男・信康らが、織田との同盟を破棄し、武田と手を結んだらどうかと主張するようになりました。ある時、築山殿が武田と内通していることが信長に知られてしまいます。信長は大激怒します。もし徳川が織田を裏切り、武田と手を結んだのなら、織田にとっては脅威となりかねないと感じたためです。信長は家康に、「信康と築山殿を殺せ」と命じます。信長に逆らえないと感じた家康は、嫡男・信康に切腹を命じ、妻である築山殿を殺害するよう指示しました。ここまでは通説とされているものです。しかし最近では、信長は2人の殺害の指示は一切しておらず、むしろ2人の死罪を決断したのは家康だったという説もでてきています。いずれにせよ、妻と嫡男を失ったわけですから、家康としては大変悲痛な思いだったことでしょう。
 築山殿は、通説では「悪女」とされており、ドラマや小説では、「悪女」っぷりを見せる築山殿が出ることが多いです。最近私が読んだ、火坂雅志さん著「天下 家康伝」でも、築山殿は「ツンツン」(ツンデレではありません)とした女性として登場しました。また、家康と築山殿は不仲だったとされています。しかしながら、「どうする家康」での築山殿は悪女という設定にはせず、逆におっとりした女性として描かれています。更には、家康と築山殿は極めて良好な関係としてストーリーが進められました。それだけに、このドラマでの築山殿事件はどのようなストーリーになるのだろうとかなり気になっていました。
 結論を言うと、ドラマでは、信長が信康と築山殿の殺害を指示することも、家康が2人の死罪を決断することもありませんでした。家康は、2人に責めを負ってもらうと告げたものの、そのまま2人を逃がす決断をしました。しかし信康と築山殿は、自ら責任をとり、自害して果てたのでした。この新たな解釈については賛否両論があったようですけれども、私はこのようなストーリーもありなのだろうなと感じたのでした。

 ところで、先日私は浜松市へ行きました。椿姫観音(259話)、元城町東照宮、浜松城、大河ドラマ館などを巡り、築山殿が眠る西来院の月窟廟(げっくつびょう、がっくつびょう)にも訪れました。そして築山殿の墓前にいのりを捧げたのでした。

 

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