139. あるがまま2021
森田療法の書籍を読むときに必ずと言ってもよいほど出会う言葉といえば、「あるがまま」ではないでしょうか。森田正馬先生の文献にももちろんこの言葉が多く登場しますし、後世の森田療法家の中にも、診療で「あるがまま」を強調される先生もいらっしゃるそうです。
しかしながら、この「あるがまま」は分かりやすそうで、実は誤解を招きやすい言葉ではないかと感じます。「そのままでよい」という理解にとどまる方も実は多いのではないかという印象です(数年前に大流行したディズニー映画の主題歌の影響もあるのでしょうか・・・?)。中には、「仕事へ行く気がないので『あるがまま』で仕事を休んだ」と、的外れと言わざるを得ない誤用のケースを耳にしたこともあります。誤解しやすい言葉ゆえ、とある森田療法家の先生から「私は『あるがまま』を一切使いません」と伺ったことがありますし、私も日常診療でこの言葉は滅多に使いません(ちなみに当院の森田療法ページには一度も「あるがまま」を用いていません)。
とはいえ、「あるがまま」は森田療法の真髄であり、極めて重要な言葉です。ここで改めて森田療法の文献を読み、「あるがまま」の真の意味を調べてみることにいたしました。
森田先生の直弟子である高良武久先生のご著書「森田療法のすすめ」1)には、「あるがまま」について分かりやすく解説されています。
「あるがまま」の第一の要点は、症状あるいはそれに伴う苦悩、不安を素直に認め、それに抵抗したり、否定したり、あるいはごまかしたり、回避したりしないで、そのまま受け入れることである。
第二の要点は、症状をそのまま受け入れながら、しかも患者が本来持っている生の欲望にのって建設的に行動することで、これがたんなるあきらめと異なるところである。
更に高良先生は「症状に対してもあるがままであるとともに、『向上発展の欲望』に対してもあるがままなのである」と述べられています。すなわち、症状や感情を単に受容するだけでなく、「生の欲望」にのった建設的な行動をすることもセットになって、「あるがまま」なのだ、ということです。
高良先生に師事された青木薫久先生(森田先生の孫弟子にあたります)も、同様な内容をご著書2)に書かれており、「あるがままの態度の受動的側面」「あるがままの態度の能動的側面」という用語を用いられています。「受動的側面」は、高良先生が述べられたあるがままの第一の要点、「能動的側面」が高良先生の第二の要点に相当します。
一方で、森田先生がご活躍されていた頃より、「あるがまま」の誤解は多かったようです。まずは、「『あるがまま』になろう」という構えをすることは、決して真の「あるがまま」でない、ということです。森田先生は、そのことについて、患者に次のように注意されています。
「あるがまま」になろうとするのは、決して「あるがまま」ではない。なぜなら「あるがまま」になろうとするのは、自分の苦痛を回避しようとする野心があるのであって、苦痛は当然苦痛であるということの「あるがまま」とは、全く反対であるからである3)。
また冒頭で述べた通り、「あるがまま」を「そのままでいい」というあきらめの境地と誤解されることもよくあります。高良先生はそれについて、「プールの飛び込み台」の例を用いて説明されています。
プールの高い飛び込み台からはじめて飛びこもうとするとき、恐怖感を起こすのは一般人に共通の心理である。この恐怖のために、飛び込むのをやめてしまうのが「あきらめ」の態度である。また、この恐怖心が邪魔になるのだからと考えて、観念的にこの恐怖心を起こすまいとし、この恐怖心がなくなったら飛び込もうとするのが「はからいごと」であり、これが神経症に通じる道である。(中略)「あるがまま」は、当然起こるべき恐怖はそのまま受け入れて、ビクビク、ハラハラしながら本来の発展的行為である飛び込むという欲望によって飛び込むのである1)。
本日、2021年が幕を開けました。今年も地道にコツコツ週1回のペースでブログを更新していきます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
【引用文献】
1) 高良武久:森田療法のすすめ[新版].白揚社,東京,2000.
2) 青木薫久:《新装版》なんでも気になる 心配性をなおす本 よくわかる森田療法・森田理論.KKベストセラーズ,東京,1999.
3) 森田正馬著,高良武久編集代表:森田正馬全集第五巻.白揚社,東京,1975.