85. ベートーヴェンと「生の欲望」
年末になると、各地でベートーヴェン「交響曲第9番<合唱付き>」(通称「第九」)の演奏会が開かれます。年末に「第九」の演奏会が数多く行われる国は、日本くらいとのこと。NHKの人気番組「チコちゃんに叱られる!」1)によると、年末に第九の演奏をするようになったきっかけは、「楽団員の年越し費用を稼ぐため」とのことです。ただきっかけはどうであれ、第九のフィナーレである第4楽章は、「歓喜の歌」の合唱が入り、感動的な内容です。一年の締めくくりとして実にぴったりの曲ではないでしょうか。
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは1770年、ボン(現在のドイツの都市)に生まれました。音楽家の父から厳しいレッスンを受け、自らも勉学に励み、作曲家になりました。数々の名曲を発表した一方で、難聴と耳鳴りに悩まされるようになります。ウィーンの外れのハイリゲンシュタットで療養したものの、ますます耳の病状は悪化するばかり。絶望な気持ちに陥ったベートーヴェンは遺書を書き出します。しかしながらそのとき、音楽を教えてくれた教師や、応援してくれる人たちのことを思い出し、難病という困難を受け入れながらも作曲を続けていく決意をしました。本来は死のことを考え書き始めた遺書が、実は前へ進むための自らへのメッセージになったのです。ハイリゲンシュタットにて療養した約半年間、自然に触れながら、曲の構想をスケッチしていきました。それがのちに数々の名曲の素材になったそうです。ウィーンに移り、交響曲第3番<英雄>、第5番<運命>、第6番<田園>などの名曲を発表します。そしてベートーヴェンが若いころから愛読していたシラーの詩「歓喜に寄す」を使用し、交響曲第9番<合唱付き>が完成。この時ベートーヴェンは、53歳。この頃には体調も芳しくなく、耳も殆ど聴こえない状態になっていました。「第九」の初演から3年後、ベートーヴェンは、ウィーンの自宅で息を引き取ります。享年56 2)。
作曲家にとって、耳の難病は致命的といえます。しかしながらベートーヴェンは、その困難を受け入れつつも、たくさんの名曲を作り上げました。「多くの曲を作りたい!そしてそれらをたくさんの人に披露したい!」というベートーヴェンの「生の欲望」を感じずにはいられません。
今年も残すところあとわずかとなりました。皆様、どうぞよいお年をお迎えください。
【文献など】
1) NHK「チコちゃんに叱られる!」 2018年12月7日放送
2) 平野昭(監修), 鎌谷悠希(カバー・表紙), 島陰涙亜(まんが作画):角川まんが学習シリーズ まんが人物伝 ベートーベン 生きる喜びを伝えた作曲家.KADOKAWA, 東京,2019.