11. 森田正馬先生の頌徳(しょうとく)碑
今回は、「森田正馬先生の生家訪問記」の続きです。
森田先生の生家から歩いてすぐのところに、金剛寺があります。森田先生が9歳のころ、このお寺で地獄絵を見て、それから「死の恐怖」に襲われたといいます。これは森田療法の成立に欠かすことのできないエピソードとされています。
そのすぐ近く。「野市町立 老人憩の家森田館」。この建物は、もと富家小学校の講堂で、森田先生の寄付により昭和11年に建てられたものです。
そのお隣の新しい建物は、不登校児の学び舎「森田村塾」。かつて森田先生の生家を利用していたこの施設は、平成29年こちらに移転・新築されました(いきさつなど詳細は前回の記事に書いてあります)。昨年4月、「森田正馬生家保存を願う会」の総会に参加した際、こちらの施設の内部を見学させていただきました。木の香りがして、天井が高く、開放感のある建物だったことを覚えています。
そして、「森田館」「森田村塾」の敷地には、森田先生の頌徳碑がたてられています。
「頌徳 森田正馬博士」
その裏には、森田先生の略歴が書かれています。一部汚れがあり、読みにくい箇所があります。数年前、私はこの内容が書かれたウェブサイトを見つけ、これをメモしたものを残していました(久々にそのサイトをGoogle検索で探してみましたが、見つけることができませんでした。もしかすると削除されてしまったかもしれません)。そのメモを参考に内容を書いてみます。
一 富家村兎田森田正文長男 明治七年出生
一 昭和十三年四月十二日歿 行年六十五歳
一 東京慈恵会會医科大學教授 勤續三十六年
一 神経質治療森田療法発見 世界的新機軸
一 土佐協會慈恵医大富家村 寄付金数万円
一 博士曰上医賣術下医賣薬 生人生物生己
紀元二千六百年 富家村男女青年團建之
紀元2600年は、西暦に換算すると、1940年(昭和15年)。
5行目には、森田先生が、土佐協会(ウェブで検索したところ、高知県の育英事業団体とのことです)、慈恵医大(森田先生が教授を務められた大学)、そして地元の富家村(現在の香南市野市町の富家地区)に多額の寄付をされたことが書かれています。「数万円」とはもちろん当時の額で、現在の額に換算すれば、数億円に相当するのではと思います。森田先生が帰省されるたびに、富家村の子供たちに文房具などをプレゼントされた話も残されています。
そして、6行目は、森田先生が述べられた言葉です。後半の「生人生物生己」は、「人の性を尽くし、物の性を尽くし、己の性を尽くす」に相当し、森田療法の重要ワードのひとつです。それについては別の機会で書くことができればと思います。
むしろ、私は前半の「上医賣術下医賣薬」がお気に入りで、我々医療者が肝に銘じるべき言葉ではと思っています。これを書き下し文にすれば「上医は術を売り、下医は薬を売る」となります。
これは、「優秀な医師は患者に対し『術』を売る(提供する)ものだ。ただ単に『薬』を売りつけるだけでは下等な医師にすぎない」と私は解釈しております。
(次回に続きます)