8. 桂歌丸さんと森田正馬先生
人気落語家の桂歌丸さんが7月2日亡くなられました。享年81。
ご存知の通り、歌丸さんは人気長寿番組「笑点」に長年出演され、司会も10年間務められました。晩年は「慢性閉塞性肺疾患」など様々な身体疾患により入退院を繰り返すこととなりましたが、病気を抱えつつ最期まで現役を貫かれました。歌丸さんのご逝去を報じるニュース番組では、歌丸さんが酸素吸入器のチューブを鼻に装着したまま高座をこなすお姿が映し出されました。
そのお姿を拝見し、私は森田正馬先生(1874-1938)のエピソードを思い出しました。森田先生は40歳ごろより肺結核の症状に苦しまれます(この頃結核は治療法が確立されておらず、ガンよりも怖い病気とされていた時代です)。森田先生の診療所では先生の咳嗽が響き渡り、大学の講壇に立たれた際には痰コップを置いて咳き込みながら講義をされたそうです。体調が思わしくない時には床に臥せることも多かったようです。しかし森田先生はこのような深刻な身体状態にもかかわらず、神経症の治療と研究にエネルギーを費やされました。喘息で息を切らしながらも患者の指導に当たってこられた話や、喘息の症状がひどく横になっても論文の執筆を続けられた話は有名です。「形外会」という患者との懇話会で、森田先生は病で横臥しながらも参加されたこともありました(昭和10年10月6日、第53回形外会、森田正馬全集第5巻 P.591-609)。
ここで森田先生のお言葉を紹介します。昭和6年、森田先生は九州医学大会で特別講演をされるため福岡・熊本へ向かわれます。道中には弟子で内科医の古閑義之先生(のちの聖マリアンナ医科大学学長)が同行されていました。その途中、京都に立ち寄り、座談会に参加されます。京都を出発される直前に述べられた言葉です。
(筑波山登山の際、息切れがひどく登頂を断念しようと思ったが、上へ向いて歩いていたらいつの間にか頂上にたどり着いたというエピソードを出されたうえで)
僕は登れないと断念していた頂上へ登ったのです。それがありのままの僕の生命の結果です。僕は死ぬるのはいやである。しかし今は大きなことを言っているが、明日でも死ぬかもしれない状態にある。それで古閑君が注射器を持ってついて来ているのである。しかし僕は死ぬまで神経質の研究を続けたい。それがありのままの僕の生命である。
(森田正馬全集第5巻、P.160)
歌丸さんも森田先生も病に苦しみながらも最期まで「生の欲望」を発揮され、それぞれ落語界、精神医学界の発展に尽力されました。私もこのお二人に大いにあやかりたいものです。