149. 東日本大震災から10年
今日は3月11日。東日本大震災からちょうど10年が経ちました。
あの大震災の当時、私は山形県鶴岡市の病院に勤務していました。
2011年3月11日の14時半ごろ、病棟での仕事が一段落し、医局(医師の控室)で一休みをしていました。ちょっと休んだら病棟へ行って仕事を再開しようと思っていました。
14:46頃・・・建物の揺れを感じました。私は地震が来た際にはテレビをつける癖があります。今回も例外なく、すぐに医局のテレビをつけました。その直後激しい揺れが襲いました。「ええーっ!?」揺れがかなり長く続いています。このような地震は初めての経験です。ただ棚から物が落ちることはありませんでした。揺れが収まった後、病棟へ行き被害状況を確認することにしました。当時勤務していた病院の建物は築40年くらいでかなり老朽化していました。しかし幸いなことに建物等に大きな被害はありませんでした。停電もありませんでした(後で聞いた話ですが、山形県で停電を免れたのは鶴岡市くらいだったとのことです)。入院患者さんの安全を確認して医局に戻ったところ、テレビには大津波の映像が流れていました。津波被害の様子を生中継で見て呆然としてしまいました。この日は、とても仕事にならなかったことを覚えています。それから、福島第一原子力発電所の事故を知りました。「我が国の原発では重大な事故は起こりえない」などという安全神話も、所詮自然の力にはかなわないことを思い知ることとなりました。
この大震災を受けて、私は被災地に義捐金を送りました。しかし、ただ単にお金を送るだけでいいのだろうか、他に被災地のためにできることはあるのだろうか、と悩みました。ちょうど病院で被災地支援のために医療チームを派遣する話がありました。私も被災地のために役に立ちたいと思い志願しました。しかしながら、選考から漏れてしまいました。先輩の医師らで結成されたチームの出発式で彼らを見送ることしかできませんでした。
それから数年後(私が那須に移った後です)、所用で仙台へ行きました。そのついでに、津波で大きな被害を受けた石巻市へ行くことにしました。当時JR仙石線は一部区間不通であり、途中で代行バスに乗り継ぎ、石巻へ。海沿いには、ぐにゃぐにゃに曲がったガードレールや駐車場の案内板が残っていました。津波の威力を改めて知らされました。
津波被害に遭った石ノ森萬画館はすでに営業を再開していました。そこに入り、石ノ森氏の作品を堪能しました。お土産屋には、ご当地漫画雑誌「マンガッタン」が置いてありました。少しでも石巻市への支援になればと思い購入しました。
この石巻への小旅行がきっかけで、被災地を訪れることが応援につながるのではないか、と思うようになりました。それ以降、鉄道や車で被災地へ行くようになりました。
現在は新型コロナの影響で遠出は自粛していますけれども、コロナが収束した際にはぜひとも被災地への旅行を再開したいと考えております。この大震災を決して忘れないためにも。
★被災地を訪れた際に撮った写真★
宮城県南三陸町 防災対策庁舎(2015年)
南三陸町の飲食店で食べたカキフライ。これまで食べたカキフライの中で一番おいしかった。(2015年)
岩手県陸前高田市 奇跡の一本松 (2015年)
復興が進む宮城県女川町(2016年)
福島第一原子力発電所の近くを車で走行する(2017年)
宮城県山元町 旧・山下駅にあった慰霊碑(2017年)
岩手県久慈市 久慈駅前。NHKドラマ「あまちゃん」の舞台で有名(2018年)