42. 佐々木禎子さんのこと
「心の健康セミナーin広島」の翌日、広島平和記念資料館を訪れました。本館はリニューアル工事中で、2年前に先だってリニューアルオープンした東館を観覧いたしました。
核兵器の危険性、広島市での被爆と復興の様子などの常設展示を見学したあと、企画展示室へ。被爆により亡くなった方の遺品などが展示してありました。中学生が実際に着ていた制服、小さい子供が使っていた三輪車などを拝見しました。思わず涙が出そうになりました。
そして、佐々木禎子(さだこ)さんの遺品の展示へ。これを見て、高校生時代、英語の教科書で読んだ「禎子さんと千羽鶴」のお話を思い出しました。
禎子さんは、2歳の時に被爆。その際には自覚症状はなく、順調に成長したそうです。運動神経は抜群で、小学6年生の時に運動会のリレーで1位に導きました。しかし、その直後白血病を発症し、12歳の若さでこの世を去りました。
生前、禎子さんは病室で折り鶴を折っていました。「千羽の鶴を折れば願いが叶う」「元気になれる」という言い伝えを聞いて、一生懸命折っていたとのことです。当時白血病は「不治の病」とされていました。おそらく彼女は「死の恐怖」に襲われていたものと想像されます。しかしながら、熱が出ても、頭痛があっても、自身の回復をいのりつつ折り続けてきました。
禎子さんが折ったものとされる折り鶴は、平和記念資料館で観覧することができます。これらを拝見し、「何としてでも生きたい!」という彼女の「生の欲望」を感じずにはいられないのでした。
なお、この1発の原子爆弾で14万人以上が犠牲になったそうです。現在でも後遺症に苦しまれている方も多いと聞きます。このような残虐で非人道的な兵器は二度と用いてはならないものと再認識し、この地をあとにいたしました。
「原爆の子の像」。佐々木禎子さんがモデルとなっています。