49. 森田療法との出会い 前篇
今月は、私が森田療法と出会ってからちょうど20周年にあたります。今回と次回の2回に分けて、森田療法との出会いについてお話しします。
この記事は、もともと2015年12月に自分向けに書いた文章を、加筆修正したものです。
大学時代、私は劣等感でいっぱいだった。
100分間の大学の講義。
受講中、少しでも雑念が出たり、集中できなかったりすると、
自分は駄目な奴だと思ってしまったのだ。
一方周りの学生は一所懸命講義のポイントをメモしている。
それを見てますます落ち込んだ。
まあ、100分間完璧に集中して内容を聞けるわけがない。
途中で集中が途切れたり、時には違うことを考えたりするのはやむを得ない。
しかし当時の私は、そんなことを知るはずがなかった。
組織学のスケッチの実習。
そのスケッチの速度が非常に遅かった。
これは、人体組織のプレパラートを顕微鏡で見て、
その所見をスケッチするというもの。
私は、教科書に載っているような、模範的な所見を顕微鏡で探し出せないと、
スケッチに取り掛かることができなかった。
それでかなり時間を要してしまったのだ。
周りの学生は早く終わらせてどんどん帰ってしまう一方、
自分は最後まで居残りだった。
しまいには、先生から「もう時間だ、帰れ」と言われてしまう。
絶望感を抱きながら帰宅したのを覚えている。
自宅(当時借りていたボロアパート)にいても、いろいろ困った。
外出の際、ガスの元栓が閉まっているか、何度も確認してしまう。
殊に長期間留守にするときには、30分以上も確認行為を繰り返してしまった。
確認をしている間、本当に汗びっしょりだった。
テレビのニュースにしばしば登場するX氏。
その人が大嫌いだった。
X氏がテレビで発言していると、
私はテレビに向かい怒鳴りつけたり、物を投げつけたりした。
テレビにはあちこちに傷がついた。
これに追い打ちをかけたのが、強迫観念と赤面恐怖だった。
私は、毎朝英語の輪読会に参加していた。
その際、思わず淫らなことを思い浮かべてしまった。
これはいけない。
何とかして考えないようにしようと思ったが、どんどん思い浮かべてしまう。
更に困ったのは、赤面だった。
それを思い浮かべると、赤面をするようになった。
もし赤面しているところを周りに知られたら・・・
「輪読会で赤面するとは・・・!」
「いったい何を考えているの!?」
と馬鹿にされるに違いない。
次第に雑念や赤面が頭の中に支配されるようになった。
輪読会や講義が苦痛だった。
そうなると、夜もよく眠れなくなった。早朝覚醒である。
うつ病の初期の状態になっていたかもしれない。
(それでも輪読会や講義には全く欠席しなかった。
我ながら偉い!と今の私は自画自賛する。
もし自宅に引きこもってしまったら、回復がより困難になり、
医学部を6年で卒業することはできなかっただろう)
このようなどん底の中、転機が訪れたのは、
1999年4月20日の精神科の講義だった。
(次回に続く)