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322. 「自分らしく パニック障害と共に生きる」前篇

[2024.05.31]

 小谷野栄一さんは、北海道日本ハムファイターズやオリックス・バファローズで活躍した、元プロ野球選手です。小谷野さんは、プロ4年目でパニック障害(パニック症)を発症し、一時はプレーどころか練習もできなくなり、自室に閉じこもる状態にまで陥りますが、その後は嘔吐などのパニック発作を起こしながらもプレーを続け、16年間の現役生活を全うしました。その小谷野さんのエッセイ本が発売されているとの情報を知り、さっそく購読しました。
 タイトルは「自分らしく パニック障害と共に生きる」(潮出版社)。

 そのなかで、特に私が印象に残ったエピソードを紹介いたします。

 入団4年目、シーズン前のキャンプの時から、小谷野さんは体に違和感を覚えるようになります。開幕は1軍で迎えることができたものの、このような体の違和感のため、良い結果を残せず、2軍行きを命じられました。2軍の試合の時、異変が訪れました。ネクスト・パッター・サークルで打順を待っていた小谷野さんは、急激なめまいと吐き気に襲われました。打席に立つと、先ほど以上のめまいが出現し、主審にタイムをかけて、打席を外してその場で吐いてしまいました。以後、打席に立つ時や守備につく際に、めまい、吐き気、動悸、過呼吸の症状が出てきました。病院を受診し、胃カメラを行ないましたが、異常なし。その医師の勧めで心療内科を受診したところ、パニック障害(パニック症)と診断されました。徐々にパニック障害の症状は悪化し、不眠も強まりました。その結果、試合どころか練習にも出られなくなり、寮の自室に引きこもるようになってしまいました。一時は食事もとれなくなり、体重も減ってしまったそうです。
 そんな状態の中、フェニックス・リーグ(日本シリーズの時期に開催される、2軍のオープン戦)に出場することになりました。ちょうど、日本ハムが日本シリーズに進出することになり、2軍のたいていの選手も日本シリーズに登録されることとなり、フェニックス・リーグに出られる選手が手薄になったためです。試合中に吐いてしまったら、過呼吸で倒れてしまったらという予期不安が強い状況の中、当時2軍のコーチでフェニックス・リーグでは監督代行を務めた福良淳一さん(のちのオリックス・バファローズ監督、現・オリックス・バファローズゼネラルマネージャー)が小谷野さんにこのような言葉をかけてくれました。

「何回吐いたって、何回倒れたっていい。打席に立つまで何分かかっても、バットを振らなくても構わないから、とにかくバッターボックスに立ってみよう。まずはそこから始めてみないか?(中略)何かあった時にはすぐにタイムをかけてあげるし、審判に注意されたら俺が謝れば済むんだから」

 この言葉が後押しになり、小谷野さんはフェニックス・リーグに出場することになります。毎試合ベンチ裏で4回、5回と吐いてしまい、守備の際も過呼吸で倒れてしまうこともありました。それでも福良さんは「今日はよく頑張った。バッターボックスにも立てたじゃないか」と励ましてくれました。小谷野さんは、やっぱり野球を続けたいという思いや死に物狂いで結果を出そうという思いから、思いがけない好成績を収めることができました。嘔吐や過呼吸に苦しみながらも打率3割近くでホームランも何本か打つことができたのです。吐きながらも野球ができる。フェニックス・リーグで思わぬ好成績を残せたことが小谷野さんにとって大きな自信となったと小谷野さんは述べています。
 フェニックス・リーグでの活躍により、すっかりあきらめていた、翌年の契約を更改することができました。以後、パニック障害は自分自身の「個性」として受け入れ、試合中に吐きながらも野球を続け、16年間の現役生活を全うしたのです。

(後篇に続きます)

【引用文献】
小谷野栄一:自分らしく パニック障害と共に生きる.潮出版社,東京,2019.

 

 

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