93. 掃除機と「物の性を尽くす」
先日、当院で使用している掃除機が突然動かなくなりました。ホースにあるスイッチを押しても全く作動しません。この掃除機は、開業準備の際に那須塩原市内の某家電量販店で購入したものです。購入してから1年数カ月経過していました。保証期間の1年をわずかにオーバーしてしまったため、保証が効きません。
ただ、買って1年ちょっとで新しいものに買い替えるのは実にもったいない。購入した某家電量販店へその掃除機を持っていき、修理できないか相談してみました。店員さんが掃除機のプラグをコンセントに差し込み、電源をON。すると、なぜか動いてしまったのです。店員さん曰く「動くじゃないですか。おそらく接触が悪かったのでしょう。まったく問題ありません」と。その店員さんは掃除機を詳しく調べることはしませんでした。私は首をかしげながら、掃除機を持ち帰りました。
しかし、掃除機を再び当院で使用してみたところ、やはり動きません。もう一度その家電量販店に相談することも考えましたが、それはやめにしました。そのお店の店員さんが全く信用できないと感じたからです。しかも、店員さんから「動かないんだったら、新しいものを買ったほうがいいですよ!」と一方的に買い替えを提案される恐れもあります。
じゃあどうしようか。ここで妙案を思いつきました。私の生まれ故郷に、昔からお世話になっている小さな電器屋さんがあります。そのお店に相談してみようと思ったのです。電話で了承をいただき、当院の休診日にその掃除機を持っていきました(余談ですが、那須塩原から郷里まで車で約1時間半かかります)。店主さんが掃除機を詳しく調べたところ、ホースに断線が生じていることが判明しました。新しいホースに取り換えたところ、きちんとこの掃除機は動きました。修理費(ホースの代金)は数千円ですみました。新しい掃除機を購入すると数万円かかりますので、かなりの経費の節約になりました。しかも、掃除機の本体部分は処分することなくそのまま生かすことができました。
森田正馬先生のお言葉に「物の性(しょう)を尽くす」があります。65話でご紹介した森田先生のお話をもう一度引用します。
なお「物の性を尽くす」ということは、たとえば僕の家では、水を使うにも、洗面の水をそのままこぼさないで、バケツに取り、これを雑巾がけに使い、さらにそれを植木や撒水(さっすい)に使うというふうである。僕などは、平常こんな心持ちが習慣になっているから、大震災のようなときにも、容易に困るようにはならない。水道を出しっ放しにするような人とは、まったく人種が違うのである。放蕩者の金遣いを、「湯水のように使う」というが、僕などは湯水でも、決してむだには使わぬ。この「物をむだにせぬ」ということは、同時に自分の頭の働きも、力もベストに使うことで、すなわち「己の性を尽くす」ということにもなる。1)
今回の掃除機の出来事も、「物の性を尽くす」に相当するのでは、とつい感じてしまいました。
【引用文献】
1) 生活の発見会編:現代に生きる森田正馬のことばI.白揚社、東京、1998.