106. 上杉鷹山の「伝国の辞」
私がいつも持ち歩いている「発想ノート」(68話)の最終ページに、道の駅「米沢」のスタンプが押してあります。これは新型コロナが流行する前の今年1月に、山形県米沢市へドライブに行った際に押印したもので、上杉鷹山(ようざん)のイラストが描かれています。
上杉鷹山(上杉治憲(はるのり))(1751-1822)は、米沢藩9代藩主。江戸時代の屈指の名君とされている人物です。当時の米沢藩は多額の借財を抱えており、先代の藩主・重定は版籍奉還(いわゆる破産宣告)しようと考えていたほどの財政難に陥っていました。家臣には十分な給与が払えず、その結果武士を廃業する者が続出。唯一の税源である農民は高い税を課されることとなり、別の地に逃散する者も現れました。更には生まれたばかりの子供を殺してしまう「間引き」が増え、結果的に米沢の人口は激減してしまいました1)。このような絶望的な状況の中、鷹山は17歳で米沢藩主になりました。鷹山は直ちに財政改革に着手します。途中で重役によるクーデター「七家騒動」が勃発するなどピンチに陥りましたが、鷹山の改革が功を奏し、米沢藩は見事復興しました。多額の借財もついには完済されることとなったのです。
かつての米大統領であるジョン・F・ケネディ氏が、日本人の記者から「あなたが最も尊敬する日本人は誰ですか」と訊ねられたところ、即座に「ウエスギヨウザンです」と答えたというエピソードは有名です2) (ただしこのエピソードの真偽は不明とも言われています3))。
ところで、鷹山の改革の理念ともいえる、有名な心得があります。
それは「伝国の辞」と呼ばれるもので、鷹山が35歳で隠居し、次代の藩主・治広に家督を譲る際に申し伝えたものです。下に示すのは、小説家・童門冬二氏が意訳したものです2)。
一、国家(この場合は米沢藩のこと)は、先祖から子孫に伝えられるもので、決して私すべきものではないこと
一、人民は国家に属するもので、決して私してはならないこと
一、国家人民のために立ちたる君(藩主)であって、君のために人民があるのではないこと
すなわち、藩主は決して国家や人民を私物化してはならず、国家や人民のための仕事をするために存在するものだ、ということです。当時の封建幕藩体制下では、藩主はそこの藩民を私物化し、単なる税源としか考えていなかった中、鷹山の「国家人民のために」という思想は稀有な存在だったそうです2)。
この鷹山の政治姿勢はまさしく、「利他の心」(86話)に通ずるものがあると考えます。また、森田正馬先生の「人を気軽く便利に、幸せにするためには、自分が少々悪く思われ、間抜けと見下げられても、そんな事は、どうでもよいという風に、大胆になれば、初めて人からも愛され、善人ともなるのである」4)というお言葉も連想されます。
冒頭で述べた、上杉鷹山のスタンプを眺めながら、「利他の心」の大切さを再認識したのでした。
【引用文献】
1) 童門冬二:上杉鷹山の経営学 危機を乗り切るリーダーの条件.PHP研究所,東京,1990.
2) 童門冬二:全一冊 小説 上杉鷹山.集英社,東京,1996.
3) Wikipedia 上杉治憲 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%9D%89%E6%B2%BB%E6%86%B2
4) 森田正馬著,高良武久編集代表:森田正馬全集第五巻.白揚社,東京,1975.