242. 万物流転
先日フォーラム那須塩原で、映画「川のながれに」を鑑賞いたしました。この作品は一度、試写会の際に私のパソコンで観たことがありましたけれども(230話)、劇場で観たのは初めて。今回は劇場の大画面で塩原の風景を味わうことができました。全体的に癒し系で激しいシーンがほとんどないので、安心して観られる作品だなと改めて感じました。
「川のながれに」公式ホームページ
https://kawano-nagareni.com/
(フォーラム那須塩原での上映は12月8日までです)
さて、この作品の中に、「万物流転」という言葉が登場します。該当するセリフを引用します。
「万物流転って知ってるか?人は同じ川に入ることはできない。流れる水は前とは違う水だし、誰もが以前の自分とは違うからだって」(これは劇場版予告編でも聞くことができます)
私は「万物流転」の言葉が気にかかり、広辞苑1)で調べてみました。
「万物(天地間の、すべてのもの)は流動変化してきわまりないということ。」
実は、「流転」という言葉は、森田療法の創始者である森田正馬先生の文献にも出てきます。第39回形外会(森田先生をご意見番とする座談会)で、山野井氏(森田先生の診療所に入院した患者)が、電車の車内で、美人の女性が前に座った時、目をそらすなどいろいろ工夫したものの赤面してしまい困ったと語りました。それに対し、森田先生は次のように述べておられます2)。
いま、山野井君の場合で考えてみれば、見るか見ないかの迷いを断ち切って、どっちでも構わぬ、仮に「見てやろう」と決めたとする。そうすると、我々の本能は、訳なく人の眼を見つめる事のできないものであるから、取りあえず臨機応変、まず眼をつぶったとする。「あれは、どうした人だろう」という考えが浮かぶ。「あの格好では、貴婦人だろう。大分モダンだ。そういえば、あの有閑マダムの伯爵夫人、あれは、どんな罪になるかしらん。罪といえば、かの五・一五事件は……」という風に、連想は急速に、思いがけないところに、飛んで行ってしまう。女の顔を見るか見ないかという事から、思いもかけぬ暗殺事件にまで変化流転する。ここまでくれば、既に女の問題は、とうから、心を離れている。決して長く執着の続くものではない。絶体絶命になれば、こんな風に流転するものです。(森田正馬全集第五巻 p.422)
また、強迫観念は、心の流転が始まった時に初めて治るとし、「せっぱつまれば、必ずそれから、思想がさまざまに変化するようになる。変化すれば、執着を離れるようになり、強迫観念が治る」とも森田先生はおっしゃっています。
森田先生の孫弟子にあたる青木薫久先生(101話など)のご著書「心配性をなおす本」3)に、「流転」に該当する言葉として、「運動観」という用語が出てきます。まず、外出する際に、ガス栓を閉めたかとか、電気を消したかなどを何度も確認してしまう強迫神経症(現在の診断基準でいう「強迫症」に相当)の藤村さんのケースが登場します。藤村さんは、森田療法と出会い、その理論を繰り返し読みます。そして、「確認しないと不安でしかたがない」という気持ちはそのままにしておき、行動はできるだけ普通にやるようにし、何度も確認しないようにする、すなわち「恐怖心はあるにまかせて、当面必要な行動をする」という方針を実践したことで、強迫を乗り越えることができたそうです。青木先生は、「ガンコな不安、とらわれである強迫神経症ですら運動・変化するものであり、その運動の法則をつかめば、のりこえていくことができる」と触れられたうえで、次のように述べられています。
このように、自然も人間も思想も社会も、世の中のありとあらゆるものが、運動し変化していく、これが本質です。
「世の中の事物は、静止・不変・絶対は一時的な姿であり、運動・変化・相対こそ、その本来の姿である」とする見方、これが森田理論でいう「運動観」なのです。
すなわち、頑固で大変しんどい強迫症の症状も、心の「流転」により自然に変わっていくということです。森田先生の「感情の法則」(27話など)も大いに役立つことでしょう。
【文献】
1) 新村出(編):広辞苑 第六版.岩波書店,東京,2008.
2) 森田正馬著,高良武久編集代表:森田正馬全集第五巻.白揚社,東京,1975.
3) 青木薫久:《新装版》なんでも気になる心配性をなおす本 よくわかる森田療法・森田理論.KKベストセラーズ, 東京,1999.