355. 阪神・淡路大震災から30年
今日からちょうど30年前の1995年1月17日、私は栃木県南部の高校に通う高校2年生でした。早朝に少し勉強をするため6時前に起床したところ、テレビでは関西地方において大きい地震が発生したとの第一報がありました。地震発生直後のニュースでは被害の状況は全く分かりませんでしたが、学校へ出かける直前には、神戸市内の民家が崩れている様子がニュースで放映されており、「この地震はただ事ではない」と感じました。学校から帰ってくると、テレビでは大地震の報道特番がずっと流れていました。神戸市などでビルや民家が崩落しており、あちこちで火災が発生している映像を観て、大変衝撃を受けました。被災地に対して何かしてあげたいという気持ちがありましたが、当時は高校生であり、更には遠方ということもあり、何もすることができず、もどかしい気持ちになりました。次の日、一緒に通学する同級生O君と相談し、「生徒会に、被災地に寄付するための義援金募集をやってもらうよう働きかけてみようか」と話し合いました。しかし我々が生徒会に呼び掛ける前に、生徒会からすぐさま義援金募集を開始するというアナウンスがありました。もちろん私も義援金を出しました(当時は高校生でしたので微々たる額でしたが)。
次第に被害の状況が明らかになり、犠牲者の方の数が刻々と増えていく状況を知り、とてもショックを受けました。普段見ているテレビ番組が休止され、報道特番ばかりが放送されました。そんな中、被災して苦しい気持ちになっている住民の方に対しマイクを向けようとする、テレビ局の姿勢に疑問に感じました。特に家族を亡くされた方に対し、無神経な態度でインタビューするレポーターの様子を見て憤りを覚えました。このようなマスコミの行動により、被災された方がますます傷つけられることになるのではないかと感じずにはいられませんでした。
阪神・淡路大震災から今日で30年。当時のことは決して忘れられません。