382. 関東大震災 流言での犠牲者を悼む慰霊碑
先日X(旧ツイッター)にて、「関東大震災のデマにより朝鮮人が虐殺された事件の慰霊碑が那須塩原市内に存在する」というポストを見つけました。
1923年の関東大震災の直後、「不満を持つ朝鮮人たちが暴徒化した」「井戸に毒を入れた」「放火してまわった」「社会主義者たちが暴動を起こした」などのデマ(流言)が広がりました。デマにより人々がパニックに陥り、自警団を結成し、朝鮮出身者を暴行、殺害してしまうという事件が各地で発生しました。余談ですが、森田療法の創始者である森田正馬先生も関東大震災の被災者であり、当初自警団に加わったものの後に自戒し、このときの体験・心理を冷静に分析し、「大震災時に於ける流言蜚語の心理」という論文をまとめられました。詳細はブログ96話に記載しております。
さて、冒頭で触れたXのポストを見て、詳細をネットで検索したところ、栃木県でも震災直後のデマにより朝鮮人が殺害されるという惨劇が起きていたことを知りました。そのうち1件が、なんと東那須野駅(現在の那須塩原駅)で発生したものでした。地元紙である下野新聞は、「9月5日夜、東那須野駅を下車した2名(1名は朝鮮半島出身者、1名は付き添っていた日本人)を在郷軍人と消防組員100余名が撲殺した」と報じたそうです。さらにネットで調べたところ、その朝鮮人らを追悼するための慰霊碑が、驚くべきことに当院から徒歩数分の距離にある共同墓地に存在することが分かりました。実際にこの目で見てみたいと思い、さっそくその墓地に伺いました。ほかの方々のお墓の間にひっそり立っているという情報であり、探すのにかなり苦労しましたが、ついにその慰霊碑を見つけることができました。
碑には、「馬達出之碑 宮脇辰至之碑」と刻まれていました。犠牲になったお二人の名前です。さらに側面には、「両人ハ大正十二年九月一日東京地方振災ニ會シ免レテ當地に来リ誤テ不慮ノ横死ヲ遂ク地方ノ有志其無縁不幸ヲ憐ミ碑ヲ建テ弔トナス」と書かれていました。
私はその慰霊碑に対して合掌したのでした。
関東大震災直後のデマにより、東那須野駅(現・那須塩原駅)付近で犠牲になった二人を追悼するための慰霊碑。
(お墓で写真を撮ってよいものか大変悩みましたが、この慰霊碑は歴史上大変貴重なものと感じ、あえて撮影させていただきました)
【引用サイト】
げんぱつニュース 関東大震災95年 流言での犠牲者悼む墓残る 那須塩原
https://ameblo.jp/syuukitano/entry-12401901239.html
中村尚徳氏note 栃木県にみる「震災虐殺」(1)/忘れられた慰霊碑
https://note.com/nakamuran21/n/n928719bd7e3f