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13. 浦河べてるの家

[2018.08.09]

 北海道浦河町。人口約12,500人。サラブレッドの生産がさかんで、海岸では良質な昆布がとれる地域です。しかし過疎化が進んでおり、30年前に比べ人口が約5千人減少。この地域の唯一の鉄道であるJR日高本線が3年前の線路被害で長期運休となり(現在バス代行を実施中)、ますますアクセスが不便になりました。

 過疎化が進み、アクセスも不便なこの地域に、全国各地から精神科の医療関係者、精神障がいの当事者など様々な分野の方が訪れています。ここで、全国的にも、そして世界的にも最先端ともいえる精神科医療、福祉の取り組みがなされているからです。その活動拠点が「浦河べてるの家」(以下「べてる」)です。

 1983年、精神障がいを抱えた人たちが浦河教会の片隅で昆布詰めの下請け作業をはじめました。「地域のために、日高昆布を全国に売ろう!」という動機からでした。これが「べてる」の起業です。その後、昆布製品を自前で製造販売をするようになります。それだけでなく、グッズ開発や販売、製麺、福祉ショップなどあらゆる分野に拡大し、今では年商1億円とも言われています。現在では精神疾患のみならずさまざまな障がいを持った人たちが活動しています。

 ここでの精神疾患に対する取り組みはとてもユニークです。通常の精神科医療では、精神症状(統合失調症の幻覚妄想など)やそれに伴う問題行動について、医者に相談し、指示を仰ぐという方法がとられます。医者の方針によっては、とにかく薬で症状を叩くような治療が行われるでしょう。「べてる」でも、確かに精神科医はいます。薬物療法も行なわれます。しかし、自分の病気について専門家に丸投げすることはしません。その代わり、自分を助けるためのプログラムやミーティングの場がたくさん設けられています。仲間と相談し、いかにすれば症状や苦労とうまく付き合えるかを探ります。自分の病気やその症状、弱さなどはすべて仲間と共有されます。症状をむやみに異物化せず、それをある程度受け入れ必要なことをやっていく、そして自分の症状を周りに告白するところが、森田療法の考え方に似ていると思っています。

 また最近では「当事者研究」が盛んです。これは自分自身の苦労や症状をいかに対処し、よりよい生活を送るにはどうすればよいか、当事者自身とその仲間で研究していくという手法です。もともとこれは浦河の精神科病棟で誕生したものです。その後全国各地の医療機関や回復施設、教育現場などでも採用されるようになり、近年では韓国などの海外にも広がりを見せています。

 ここまではきれいごとを並べてきましたが、実際のところ「べてる」では問題だらけといいます。病気による生きづらさ、苦労から、トラブルは日常茶飯事とのこと。メンバーの「爆発」によりしばしばモノが破壊されます。しかし、当事者たちは仲間と支えあいながら社会生活を続けています。

 さて、「べてる」では、1年に1回、大きなイベントが開催されます。「べてるまつり」です。この日には全国そして海外から多数のお客さんが浦河を訪れます。メイン会場の浦河町文化会館ではホールの700席がほぼ埋まります。浦河町内のホテルはすぐに満室となり、予約がとりにくくなります。
 「べてるまつり」での恒例行事に「幻覚&妄想大会」があります。ここでは「べてる」のメンバーの幻覚妄想やそれにまつわるエピソードがユーモラスに披露されます。そして年間グランプリが決定されます。このコーナーでは会場は爆笑の渦に包まれます。

 先日、私は「第26回べてるまつりin浦河」に参加いたしました。実は私は、「べてる」の大ファンです。数えてみれば、今回で通算6回目の浦河訪問で、正真正銘のリピーターです。向谷地生良先生(北海道医療大学教授、社会福祉法人べてるの家理事)の表現を拝借すれば、私は「べてる菌」に感染した「べてらー」と言ってもよいかもしれません。

 次回は、当日のべてるまつりの様子を報告します。

(次回へ続く)

【おまけ】

私が初めて浦河を訪問した2009年の写真です。


元祖「べてるの家」です。当時はこちらに精神障がいの当事者数名が住み、昆布作業が行なわれていたそうです。
現在でも当事者たちの住居として利用されています。

 


「ニューべてる」と呼ばれる建物です。朝のミーティング、SST(社会生活技能訓練)、当事者研究、昆布作業などが行なわれています。

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